死ぬことに気づいた日
正確には覚えていないが30歳は突破していた。でもあの頃は気分的には20代と何も変わらず、実家暮らしで安い給料にバイト代を継ぎ足して、ライブに遠征し映画を見て薄い本を買ったり作ったりしていた。
貯金はないし、カードの支払いはカツカツだけど、趣味は満喫して毎日楽しかった。これからもこの生活でいいやと思っていた。
それが突然、真夜中に気づいた。私は死ぬ。
確かその頃は原因不明の胸痛に悩まされていた。
今思えばあれは正業のストレスだった。しかし私は、安月給で残業代がつかない仕事でも好きだったので、ただ漠然と毎日困っていた。
その夜は何となく寝付けなくて、ゴロゴロしていたらまた胸が痛くなった。で、思った。
「そうか、もしかして私は今こうして死ぬ可能性もあるのか」
別に自分の不調を悲観したとかではなく、人生を楽しい方へ楽しい方へ歩いてきたから、自分だっていつかは死ぬという当たり前のことをちっとも実感して来なかったのだ。
でも死ぬのだ、私も人間なのだから。
今日死んだらどうなる。
大変だ、部屋が汚い。
慌てて跳ね起きて、とりあえずざっくり部屋を片付けた。でもまだ汚い。
しかもよく考えたらもうすぐカードの引き落とし日だ。死んだらリボ残高ってどうなるんだ?奨学金は死んだらチャラになりそうだ。でもリボはダメかもしれない。
ある朝突然娘の亡骸を見つけた母親が、遺品整理中に娘のクレジットカードの支払明細を見つけ、泣きながらリボの残高を精算する。そんな未来は想像するだけで恐怖だ。
やばい、今死ねない、やばすぎる。
本気で焦って、そこから変わった。
今、私はとにかく死ぬことに備えなきゃ、と思いながら毎日生きている。これがまた、とてつもなく充実した日々だ。
なにせ明確な到達点がある。やるべきことはまだまだ山積みで、毎日自分の人生を考えまくっている。
別に死にたいわけではない、むしろ死にたくない。当たり前だ。推しのライブツアーに行くまで絶対に死んでたまるか。
でももし明日死んでも、とりあえず最低限やるべき備えはしたな、と思って死にたい。その為に人生を組み直し、自己改革に乗り出している。
中々楽しい自分の再設計なのだけども、なんと驚くべきことに、数年経った今夜も部屋はまだ汚いままです。